![]() by soubou_walk ブログパーツ
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません 検索
カテゴリ
タグ
未分類(139)
歴史・雑学(86) 植物(74) 建物(57) 神社(36) 仏閣(35) 麻布界隈(34) 空(31) 飲食物(28) 動物(27) 公園(20) 渋谷界隈(20) 坂道(18) 不動尊(10) 動画(7) 川(6) 以前の記事
お気に入りブログ
【クリックで募金】 ![]() 【リンク】 ■くてくてのフォト日和 ■東京坂道さんぽ ■都市徘徊Blog ■風の又三郎的散策記 ■歩くの大好き! ■東京地形散歩■Bambina. ■タイム・フォー・ブランチ ■東京日和 ■東京プロジェクト ■Ray-co. ■日吉の住産 ■le japon ●トラックバックについて 最新のコメント
最新のトラックバック
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
今月、長らくとお世話になりました日吉から引っ越をします。
5年ぐらいは居たのでしょうか?! あまり過去を振り返り数えたくないので「ぐらい」で控えます。 日吉もずいぶんと変わりました。 越してきた頃は田舎臭が残る街でしたが、今では日吉東急を中心に街が発展してきたように感じます。ただ、そのかわりに古くからある商店は無くなっていたのでしょう。それでも、駅から離れれば、まだまだ田舎臭さと古い商店街はあります。この田舎臭と古い商店が残れるのは、単純に日吉の地形から来るものだと思います。 多摩丘陵の末端に位置する日吉は、起伏が激しく生活するには不便さを感じるものですが、意外にも人々は古くから暮らしておりました。それは、あちらそちらで見られる古墳が物語ります。そういった古代から暮らしてきた土地、特に古墳があるところは栄えます。これは私の古代史から来る経験則でしか無いですが、田園調布もしかりです。単純に昔から住み心地が良いのでしょう。不動産屋をするならば古墳がある地域が狙い目?いや、これは科学的ではない冗談でしか無いので流してください。 話を日吉に戻しましょう。 私が好きなのは民俗学です。そのため、この日吉に越してからも自転車や徒歩で歩きました。 かなり歩きました。それは、このBlogが物語っているでしょう。 なおBlogは止めるのではないので、引き続きご覧になってください。なお、過去の日吉の散策歴は日吉広域にあります。(ちなみに、今見ると日吉広域だけでなく、他にもあるようです・・・) なお、引越し先は世田谷区の東急沿線です。 そのため、日吉にはいつでも来れます。たまに、遊びに参ります。 今後もよろしくお願いします。 前回に、私は神社好きだということを書きました。 東横線を元住吉駅から武蔵小杉駅間に線路に向かって神社があります。 とても興味を抱きましたので、随分と前に調べたことがあった。 そして意外なところに行き着いて、時々話のネタにしている。 ちょうど、昨日横須賀線の武蔵小杉駅ができたので、話題としては面白いかもしれない。 かつてという言い方は微妙かもしれないが、東横線の武蔵小杉駅ができるまでは工業都市駅というのがあった。それが、この神社「市ノ坪神社」(府中街道付近)の前にありました。 少し整理しますと、 南武線には、グラウンド前停留場と武蔵小杉停留場がありました。グラウンド前停留場が、現在の南武線の武蔵小杉駅でした。武蔵小杉停留場は府中街道の所にあった。 東横線との接点はなかったということです。 かなり不便だったと思います。 南武線の武蔵小杉停留場は廃止され、グラウンド前停留場が武蔵小杉駅に変わりました。 それに呼応するように、東横線に武蔵小杉駅ができて、工業都市駅は廃止とされた。 そして、駅は連絡可能となった。 というネタを時たま、私は人に話します。 しかし、横須賀線は東京駅方面に出るには便利ですが、この連絡可能になる駅と同様で遠いですね。
トレッサ横浜への駐車場口を見つけるために、車を迂回しながら走らせていた。
そして、たどり着いたのが二つ池です。名前の通りに、池の中央に土手があり分断されている。 「この合理性がないところに、何かがある」と勘繰り、私の興味はそそられた。この池を分断する理由は?その理由に合理性があるのか?です。思った通りに、自宅でネットで調べると龍が出てきたわけです。 この池を挟んで二つの物語がある。 一つの村では、ある日に龍が住み着き、池の魚を食べすぎて空を飛ぶことができず落ちて、龍の胴体で池が分断されたという。 もう一つの村では、生贄を差し出していたが、ある時にその生贄を差し出すにあたって村の娘が選ばれたが、将来を約束した男が熊使いで、10頭の熊で立ち向かい倒したという。その死体が、上記同様に池に横たわり二つに分断されたという。 どちらも、龍が出てきて、最後に、その死体が池を分断するという話で終わる。 後者の話しは日本全国に似たようなストーリーラインがある。有名なのではヤマタノオロチ伝説ではないだろうか。思うに、こういった話しは何で池が二つに分断されているのか?私と同じように昔の人が不思議に思い、物語ができたものだと思います。 その真相はいかに!! 恐らく、近隣に三つ池公園があり、そこが農業用水地として作られたとあるので、この二つ池も同様でしょう。何も考えずに行くと、片方を先の物語の前者の村が利用し、片方を後者の村が利用するという回答も出てくるし、二つを順番に利用していたという回答もできるわけです。 こういった理由でしょう。 そうるすと、どうしてそれを知ってながら龍の伝説が生まれたの?!という考えも出てくる。 「不思議なことはあったほうがいい」と言うのが私の考えです。 龍がいたのです。 場所はこちら ![]() 灯りの乏しい暗い場所もある。時々、傾斜地の暗い森の奥から聞こえてくるカラスの鳴き声だけでも怖いものです。私の場合には、森の奥から横笛の凛とした音色が聞こえてきた時には、怖さよりも刺激的で見に行きたくなりましたが、閉店ぎりぎりのTsutayaにDVDを返しに行かなければならなかったのであきらめました。 まだ、もしかしたら森の奥には何かが居るのかもしれない。私たちが知らない世界です。昼間でも森を歩いている時に、左から「カサッ」と音が聞こえ覗き込むと、今度は逆の右から「ザササッ」と聞こえると、もはや森林浴ではなく早歩きで逃げ出すしかない。 例えばです、その森の闇に一つの目が爛々と輝き見つめていたらどうしますか?ぞっとしますよね。昔、日吉には昔に一つ目小僧が訪れたと言う記述を読みました。それは、大倉精神文化研究所の一つ目小僧とミカリ婆さんページに行くと分かるのだが、日吉の一つ目小僧の記述がある。いや、それだけでなくミカリ婆さんというのもいるらしい。これも一つ目である。このお婆さんは日吉独自のものであろう想像できる。 実は、私は一つ目小僧が日吉に来るだろうと思っていました。目撃したのか?!いや違います。一つ目小僧の出るところには、実は共通点があるのです。 それは鉄にかかわる所です。 鉄の精製とは過酷な重労働でした。 特に鉄を生み出す作業において、作業者は片目をつぶり長時間にわたり火の具合を見ていなければならない、それにより作業者は見つめていた目を失明してしまう。その者達は、おそらく失明した瞬間に役に立たなくなるのだろう。ここで一つ目の人間が生まれる。 その者達はどうなるのか分からないが、あるものは踏鞴(たたら)場で火に空気を送り込む鞴(ふいご)を踏む仕事に携わることになるではないかと思う。すると、今度は踏み続ける片足の筋肉で太くなっていく。いわゆる一本足踏鞴となる。 どちらにしても、その者たちは異形の姿となる。役に立たなくなり、放逐、または失業したものは野山に隠れたのかもしれない。もともと、こういった者達は山の民と言われ、人々が集まる共同体に暮らすよりも山の方が過ごしやすい。 彼らは産鉄ができる山に住み着き、木々を切り崩し禿げ山(たたらの際の燃料)とし、山を崩し砂鉄を探し出す。この場合に、近世では鉄穴流し(かんなながし)という手法を持ちいります(詳しくは奥出雲町のウェブサイト)。渓流を利用して山砂を流し、比重の重い砂鉄は底に沈む。それを木材持って踏鞴(たたら)で製鉄する。禿げ山ともなれば、雨が降れば山は保水性を失い崩落し地形は大きく変形します。まさに、巨人ダイタラボッチが姿を現し、尻もち付き、その足跡が池となるかのようにです。 一つ目小僧も、一本足踏鞴も、ダイタラボッチも鉄に関わると言われる妖怪です。いや、人間(単数・複数)であって、彼らが日吉の地に訪れてきたということです。 そうすると、ここからは二つの話しをしなければならない。 1)日吉近辺で鉄にかかわる場所があるのか? 2)日吉近辺に妖怪の話しはあったのか?(一つ目小僧以外) 実は、出だしからなのですが、1)は私も良く分からなくてですね、もちろん学者も分からないでいると思います。この時点で破談じゃないかという噂もありますが(笑)一つあるのは「梶ヶ谷」でして、昔には「梶」は「鍛冶」とも言われたそうで、以下の宮前タウン情報サイトを見ると面白い記事があります。 宮前タウン情報 http://homepage2.nifty.com/plaza-k/name/nmiya/name04.htm ちょうど、日吉の脇を流れる矢上川上流となります。 更に、このサイトをみると中原区井田の辺りでは矢上川は金堀川と言われたそうです。 ひろたりあん地名推理ファイル歴史探偵 http://www.hirotarian.ne.jp/backno/1606-rekisi.html それと、別所という地名です。一部の学者の間で言われているのが、別所とは蝦夷の人たちを住まわせて踏鞴場で労働をさせていたという。これも、日吉近辺にはある。ところで、なぜ、蝦夷が当時最先端のテクノロジーに従事していたのか?という疑問はあると思います。 a)鉄の技術は西にしかないと言われるが、実は蝦夷には蕨手刀という独自の刀があり、それは反りがあります。当時の西日本の刀は真っ直ぐな刀でして、後の日本刀はこの蕨手刀の影響を受けたのだろうとも言われている。つまりは、東日本には東日本独自の鉄を創り出す技術があったのかもしれない。それもすぐれた武器を創り出す技術です。ですから、その技術が欲しい。 b)やはり、踏鞴場に就労するには職業病というのがある。現代でもそうだが、3Kは嫌われてしまう。ここで就労させるのは、やはり捕虜となった人間ではないだろうか。 この二つから、踏鞴場で就労させていたものと思います。 この1)に関してはご勘弁ください。私も今後探してみますが、読者の方でお分かりになる方はお知らせくださっても良いですし、自身のBLOGに書いてお知らせください。 さて、2)に入ります。 2)は大分分かってきた。 それも、やはり大倉精神文化研究所に調査によるものですが面白いものです。 a)一つ目のモノ 先にも書きましたが、日吉にいたという。これは、おそらく近隣の踏鞴場から逃げて来たか、それとも近場にあってうろついていたと言うことかもしれない。日吉には、一つ目小僧とみかり婆さんが居たという。 全寿仙人という人物が開基した師岡神社には一つ目の鯉がいたという。ここには「いのちの池」というものがある。これは一つの池を示すのではなく、「い」の池、「の」の池、「ち」の池と三つの池の名を併せたものです。この「い」の池には「片目の鯉」の伝説があり、熊野神社の権現様が悪者を退治したときに、片目を矢で射られました。その時に鯉が片目を差し出したという。または別のお話もあるようだが、どちらにしても片目は共通です。(ただですね、神社には片目が居る事があるんですね。これは神官は昔に片目を潰して祭式を行った事があると柳田國男氏は述べているので、そういった身代り的なものあるかもしれません) 一つ目の鯉もいたと言うことですね。 ちなみに、世界的に共通なのは鍛冶の神様は一つ目なのです。キュクロプスや、日本で言えば天目一箇命でして、目が一箇所と言うことで、そのような御名前になっている。ちなみに、ダイタラボッチも一つ目とも言われている。更には、この地域で踏鞴場の人々の神様とは鎌倉景政というものがいる。戦争で片目を射られながらも奮闘をしたという武士で尊崇されていたという。 なお、日吉の一つ目小僧は12月8日に出てきて、家人に危害を加えると言う。勝手な思いを巡らすと山の民である彼らの生業は鉄を作り出すことで食料を作り出すことではないので、12月ともなると時に食料不足に陥る可能性もある。いわゆる年を越せないと言う状態ですね。彼らが村里に姿を現すのは食糧調達ではないかと思うのです。 しかし、その異形の姿に村人たちは驚き逃げ、恐怖から襲い、迫害をしたのかもしれない。 日本で鬼と言いますと、これは一つ目なのです。出雲風土記に鬼の話しがあり、一つ目の鬼が田畑に現われて若い農夫をさらい食べてしまったという。更には今昔物語には、近江国の安義橋にも一つ目の鬼が現われて人を殺したと言う話がある。恐らく食べたとかではなく、いさかいを起こして殺してしまったのでしょう。 一つ目小僧ならまだしも、鬼とも呼ばれていた可能性もなくはないです。 b)次にダイタラボッチです。 こちらは鬼とは違い人々に愛されている。 大倉精神文化研究所から抜粋し引用しますと、大男の一またぎが1里(約4キロ)以上あり、ダイタラ坊はどこから来たか分からないが、村人のために一生懸命に力仕事をしてくれたので、村の人たちもなにかと世話をやいていたという。ある時に大雨が降り続き、大洪水となり周辺が水浸しになったという。ダイダラ坊は夜に日をついて川や堤を造っていたのですが、すっかり疲れて尻もちをついたという。 ![]() うーん、面白いです。 実は、ダイタラボッチは他にも伝説がありますのでお調べください。今回は日吉近辺と言うことです。世田谷にもダイタラボッチがいて、こちらは橋を作ったりした。 どちらにしても、共通は地形創造譚であったり、土木技術です。 地形創造譚は先に書いたように山を切り崩して鉄砂を取り出した結果にも似ているし、土木技術は彼らの勝手知ったる技術の一つでもあります。特に木で道具を造り、その先端に彼らは豊富な鉄を付けて道具の労働力は圧巻だったと思います。 c)一本足踏鞴 最後の妖怪ですが、これだけは聞いたことがないです。ただ、彼らは不自由な体で遠出ができることが稀であったと思われます。それを裏付ける?!かのように、一つ目の妖怪一本だたらが現れるところは鉱山跡周辺に姿を現すといいます。なお、天目一箇命の零落した姿を一本足踏鞴というそうです。 なんとなく、踏鞴作業で目をやられて、次の仕事が鞴を踏みつけて、片足だけ異常に大きくなる。これが事実だとしたら、本当に過酷な労働だと思います。 日吉に訪れた一つ目小僧は、こういった踏鞴場から来た人であろうと想像をしているのですが、こういった人たちは様々な所(たとえば梶ヶ谷)に居たと思いますが、主にどういった所にいたのか?ということです。 もう、ここも勝手な推論で行くと杉山神社周辺だと思います。 杉山神社は日本でもここにしかなく、その他の地域には存在しない神社です。しかしながら、続日本後記の838年の条では、朝廷から霊験あらたかでお供えもが送られ、848年の条では、無位から従五位下の位を与えられ、延喜式神名帳では武蔵国四十四座「都筑郡一座小 杉山神社」と記述され、県内でも有数な神社だったと言うことです。 この神社は鶴見川流域に多く存在しておりまして、奉られている神様はイソタケルといい林業の神様で、スサノオウの子とされている。中にはヤマトタケルになっている事もあるが、それは合祀であったり、更には大和朝廷の東征の結果かもしれない(以前に書いた武蔵国造の乱の結果かも)。 ただ、これは鍛冶や産鉄の神様でもないので無理がなくもないですが、この神様を奉る何かしらの氏族が鶴見川を利用して入植したものと思われ、そこで生産されたものは大和朝廷に納めていたものかもしれない。その結果が地位を与えられたのかもしれない。それが鉄ではないのか?というのが私の推論です。 さて、だらだらとまとまりなく書いてしまったのですが、 古代において鶴見川をさかのぼり、または利用して、この地に入植した氏族がいた。 彼らは自分たちの信仰する杉山神社を作り、そこを根として、この地での踏鞴を行った。時に自身のすぐれた土木技術などで地域に貢献もしたが、時に作業に従事したものは食料不足から日吉の地にも現れた。または、山が禿げ山になり産鉄が不可能となったら、彼らは次の場所へと移動でしていく。捨て去られた可能性もある。そして、日吉の地に訪れていたと言うことです。 話し作りすぎ?無理? まぁまぁ、こういった夢物語も楽しいではと思います。 今日で夏休みも終わり、時間もありましたので久々の書きものをしました。 この自由な推論が本当かどうかは、読み手の方のお任せしますが、誰か地元の人でも肉付したら大変に面白いです。私が調べる方法は以下です。 1)基本的に地域の歴史を調べるには図書館 2)現在、土地の歴史を残すのは神社、寺院だけですが、有力なのは古代からある神社です。 3)現場を訪れる(時に地域の古老にヒアリング) 4)近隣の他所(川崎とか)の図書館に行く(理由は、他所で日吉の事が書かれていますので) 5)関連する書物を読む(たとえば踏鞴の手法とか) だれかー調べてー。 ![]() 日吉は高台にある日吉駅から、低地の日吉本町に下る道というのは限らている。綱島街道を抜かせば、主要な道は二つだけと思われる。 そして、この主要な二つの道の間には、人しか通れない隠れ道のようなものが複数ある。隠れ道は昼なお暗いので、陽が沈んだら暗すぎて通るのを控えます。悪人から物の怪まで現れても逃げ場所がなく、左右の崖地の森に逃げ込むしかないからです。 しかし、通ってみると綺麗な夕陽が見れました。 < 前のページ次のページ >
|